プロフィール

Profile & Story

はじめまして。
シンギングボウル・インストラクター奥沢侑生(おくさわゆきお)です。

シンギングボウルのことなら、なんでもご相談くださいね♪

子供の頃のわたし

子供の手

テレビでアニメ「巨人の星」がはじまった年。
私は、茨城県 水戸市に、床屋の娘として生まれました。

曾祖母、祖父、祖母、父、母、母の弟である叔父、という家族の中の、
待望の第1子でした。
翌年には双子の弟が生まれて、9人家族となり、
いまでは珍しいくらいの大家族の中で育ちました。

子供の頃の私は、大勢の家族からたくさんかわいがられました。
逆に言えば、たくさん期待もされました。

「元気で、明るく、賢く、やさしく」

それは言葉にもされましたし、
子供ながらに、無言の期待も感じていました。

才気煥発で、負けず嫌いで、活発で、おしゃま。
商店の娘らしくサービス精神が旺盛で、
近所の子供たちの中にいれば、いつも中心になる子供。

両親は笑って「お前が跡取り息子だったらよかったのに」と言ったものです。

子供の頃のわたし

(いくらダメと言っても、本棚から本を出す遊びをやめなかった)

「音楽きらい」になった理由

ピアノ

小学校に上がった私は、もしかしたら、家族だけではなく、
学校の先生の期待にもすべて応えようとしていたのではないか、
と思い返します。

一生懸命な小さな私は、早くも小学3年の時に、
挫折を味わうことになります。

それは、音楽の期末テストでした。
校内放送が流れ、
「この曲は何拍子ですか」
「この曲を楽譜に書き取りなさい」という課題でした。

いま思えば、教科書に載っている曲だったのでしょう。
でも、当時の私は「あ、私には無理だ」と、
一瞬のうちに、絶望したのです。

あんなにテスト勉強もしたのに、
それでも私にはできないってことは
私は音楽に向いていない、私には音楽の才能がない、
私は先生の期待に応えられない、がっかりさせる生徒なんだ。

頭の中は真っ白、目の前は真っ暗。
そのくらいのショックでした。

お能って自由なんだ!

その後、中学、高校と、
「音楽は苦手」と避けて通ってきました。

ところが、入学した早稲田大学で、
ひょんなきっかけからを習うことになってしまいました。

お能の謡い(謡曲)には高音・中音・下音の3つしかありません。
自分が一番出しやすい音階が中音、
それより高い音が上音、
中音より低い音が下音。

西洋音楽に比べたら、なんてアバウトなんでしょう。

他の人とハモる必要もありません。
いろいろな声が聞こえた方が、語りである謡曲に厚みが出るからだ、
と説明されました。

これなら、私でもできるかもしれない・・・

夢中になりました。
授業をサボっても、お能の稽古には必ず出席しました。
1曲、2曲と謡い、舞ううちに、舞台そのものの魅力に引き込まれました。
持ち前のサービス精神ともフィットしたのかもしれません。

大学を卒業する頃には、
「舞台で生活していきたいなぁ」と思うようになっていました。

能「紅葉狩」の舞台

(能「紅葉狩 鬼揃」の舞台 ワキ方・人間国宝 宝生閑氏と)

女優の道を選んだものの・・・

ところが、お能は男性の世界です。
女性の私には道が閉ざされているように思えました。
そこで、「女優」の道を選びました。

養成所に通い、プロダクションにも所属し、オーディションに出かけました。
しかし、ことごとく受かりません

すでに出演が決まっている主役の身長と釣り合う相手役が選ばれるため、
背が低いというだけで、書類選考の段階でハジかれます。

茨城出身でなまりがある、という理由で
脚本の試し読みの段階で落とされます。

「お前が男だったら」と言われて育ったためか、
同年代の女の子のようにメイクがうまいわけでも、おしゃれでもありません。
そもそもが、とびぬけて美人なわけでも、かわいいわけでもありません。

「思い込んだら試練の道を」

本棚

こうなったら、実力をつけるしかない・・・!

そう思った私は、30歳 直前に、
養成所に入り直し、年に100本以上の舞台を見、
演技とは何かを猛烈に勉強しました。

他人が企画した公演に出られないなら、
自分で公演を企画するしかない、と
劇団の旗揚げもしました。

「演技とは、こころもからだも、経験も知識も、
 自分の全部を使って<人間>を表現することだ」と思い至り、

劇団運営をしながら、武蔵野大学の心理学科に再入学し、
認定心理士の資格も取りました。
パフォーマンス学会にも所属しました。
脳科学の勉強もしました。

そうして、徐々に「演技を教えてほしい」と言われるようになりました。

演技講師としての10年

そうして、実力派と言われる女優に成長しましたが、
それがかえってアダとなり、
演技力が必要とされるワキ役の老婆やオバチャン役、
ちょっと出ては場の空氣を変えてさっと引っ込むチョイ役しかオファーされない日々・・・

あれれ、こんなハズじゃなかったのに、と思い悩む一方で、
演出をつけてほしい、演技を教えてほしいという要望は高まり、
ついに演技のスクールを開くようになりました。

2006年から約10年間で、100回ほど講座を開催し、
指導した生徒はのべ1200人超になります。

講座の様子

心理学やパフォーマンス学、
コミュニケーション学や脳科学などを応用した講座は
理論的、実践的でありながら、
一体感や達成感が得られるように工夫を重ねました。

おかげさまで、
「こんなにリラックスできるレッスンははじめて!」
という声を多くいただき、
役者志望の人だけでなく、医師や教師、公務員、画家なども受講してくれています。

「シンギングボウル」との出会い

並んだシンギングボウル

私が開講している演技の講座では、いつも小さく音楽を流しています。
人は無音の状態では緊張を感じます。
緊張した状態では、ベスト・パフォーマンスはできません。
そこで、参加者が意識せずに緊張を解けるよう、
氣にならない程度の音楽をかけているのです。

そんなある日。

「さて、次の講座にどんな音楽をかけようか」と思いながら、
たまたま立ち寄った本屋で、
チベット仏教の道具であり楽器でもある「シンギングボウル」について書かれた本に、
私は出会ってしまいました。

その本には「倍音」の素晴らしさが書かれていました。

ネガティブな感情は解放され、
代謝がよくなり、若返り、
隠れた才能が開花し、
不思議なシンクロニシティやセレンディピティが起こる、
と書かれていました。

シンギングボウルの効用

そんなにすごいものなら、一度、実際に聴いてみたい。
そう思って、すぐにワークショップ参加の申し込みをしました。

見つけた!私の音楽!!

六字真言のシンギングボウル

はじめてシンギングボウルを鳴らした時、
ぽろりと涙がこぼれました。

「ああ、いままで、なんて氣を張って生きてきたんだろう」と、
ガチガチだったこころとからだに氣がつきました。

はじめて鳴らしたシンギングボウルは、とても余韻が長く、
西洋音楽のようなリズムが刻めません。
また、7つの合金でできている上に手作りなので、
音階も一定ではありません。
なので、楽譜が存在しません。

こんな「音楽」があったのか・・・!

これなら、「音」そのものを「楽」しめるかもしれない。
これが私の「音楽」かもしれない。

ずーっと、人の期待に応え続けようとしてきた自分、
努力しなければ落ちこぼれる不安、
誰にも必要とされない怖れ、

そんなものから自由になれるかもしれない。

それよりもなによりも、単純に音が氣持ちいい、音が楽しい。

まるで子供に戻ったかのような、
湧き上がるような幸福感と躍動感を感じました。

もしかしたら、シンギングボウルに出会うために、
小さな私はテストで絶望を味わい、
若い時にオーディションに落ちまくり、
いま講師として活動していたのかもしれません。

現在の私、これからの私

おくさわゆきお

それからの私は、1年かかると言われたシンギングボウルのティーチャー資格を、3か月で取得し、
現在は、横浜・青葉台のサロンで、シンギングボウルの演奏や合奏、
倍音によるケアの方法などをお伝えしています。

からだが整うとこころも整います。
逆に、こころが安らげば、からだの不調が解消されることもあります。

そのふたつが揃うと、自然と運気がよくなっていき、
人生そのものが好転していきます。

実際に、わたし自身がそれを実感しています。

からだとこころを整え、運気までも調律するシンギングボウル。

自分で自分を縛っている過去や価値観から解放された時の、
自分の内側から湧き出すような「変革」「調和」「幸福感」で、
目の前の人を笑顔にしたい。

それが私のミッションです。

チベット仏教をベースにしている神秘的な・不思議な音の世界を、
10年以上続けていた演技の講座で培ったノウハウで、
これからも、わかりやすく、楽しく、お教えしていきます。

シンギングボウルのことなら、なんでもご相談ください。
あなたに「音のお守り」をお届けします。

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